実体験!神様からの『9つの歓迎サイン』& 神社参拝前後の現象を一挙大公開

住吉大社 Shrine

数ヶ月前私がまだ神社に全然興味がなかったときのこと。神道通の知り合いが「神社に通い出すと神様に呼ばれるようになるんやで。歓迎サインがあって絶対おもろいし、行くべきやで。しかもご利益もあるし!」と言っていて、神社に興味のなかった私は、へぇー、ぐらいに聞いていました。

でも、その人の影響や他の色々なタイミングが重なって、自分も定期的に神社参拝を行うようになりました。当時は神様や願い事がどうというよりも、神社に漂う清浄な空気が自分は好きなのだと気づいたこと、また、古事記を読みつつ日本の神様やそれを祀る神社について知ることの面白さを知った、という二つの理由が、神社巡りをはじめたきっかけだといえます。

そして、神社巡りをするようになるといつしか興味をもつのが、神社・神様からの歓迎サインというものです。私は知り合いから、もともとこの歓迎サインという言葉を聞いていましたし、神社でも「これ歓迎サインやで!」て言い合っている光景に出会ったことがあるので、神社巡りを頻繁にする人にとっては、けっこう知られているキーワードなのではないかなと思っています。

今日、歓迎サインのことを書く上ではじめに私が主張しておきたいことは、歓迎サインについてそれが神様からなのかどうかの真偽を問うことに意味はないと、個人的には思っていることです。本記事でこれから紹介する私の体験談を読んで、人によってはかなり馬鹿げた解釈だと感じる方もいらっしゃることは十分承知しています。でも、結局のところ、スピリチュアルは信用できん!と一蹴してしまうのは非常にもったいです。というのも、自分が体験した不思議な現象に対して、どう感じたか、どう意味づけをしていくのかというのが大事なのであって、不思議な現象が起きたことに対する自分の反応を見つめつつ、それらを実生活や将来の展望に活かすよう方向付けることにこそ、スピリチュアルな現象の意味があるからです

「神社に歓迎された、ヤッター!」と喜ぶのはもちろん素敵なことです。

ただ、神様が歓迎してくれた、だからこそ、これからどう生きていくことで、自分という人間を使って、この世に還元していくのか、という意識を常に忘れてはいけない気がしています。

では歓迎サインみていきましょう〜

神社で起こる神様の歓迎サインといわれているもの

住吉大社2

本やインターネットで調べたところでは、以下のようなものが歓迎サインとして挙げられています。

  • 参拝中や鳥居をくぐるときに天気が晴れ渡る(曇りor 雨から晴れに変わる)
  • 本殿や境内社に手を合わせている時に突然風が吹く
  • 自分の周りで蝶々が飛んだり、鳩が意味ありげに歩く
  • 祈祷や結婚式に遭遇する
  • 虹が出る
  • 人払いが起こる(自分がお祈りするときor参拝したときに、人混みが引く現象)
  • 五感で感じる心地よさ(清々しい、温かさを感じる、風景が輝いて見えるなど)

これまで、私自身も何度か歓迎サインは経験してきました。例えば、伊勢神宮の豊受大御神を祀る外宮正宮で、お賽銭をしようとしたときに、白幕が一気にバァーっとこちらに向かって上がりました。もうほんと突然に。それまで風なんてなかったのです。周りの人も大盛り上がりで、「神風や〜!」って。たしかに。

またその同日、猿田彦神社に行って、自分が参拝しようとしたときに、それまで混み合っていた拝殿で皆タイミングを揃えたみたいにササーーっと去っていって、一人で静かにお祈りできたので驚きました。そして宮司さん(?)が何かの用事で普段は閉じている扉を開けたことで、奥にあった本殿が見えて、「GOOD TIMING!」と思う場面もありました。

そして、本日シェアしたいのは、私がつい先日体験した、これまでよりもずっと印象深いと感じた歓迎サインについてです。

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いま思えば神社からのお招きだったかも – 参拝前に起こった出来事

ドライフラワー

これは振り返ったときに、「あーあれもぜんぶ前兆だったのかな」と今思うことです。神社内で起こった歓迎サインだけをみるのでなく、神社に行く前から流れが始まっていると考えたほうがいいような気がします。

その日私は、いつも通りルーティンになっている朝カフェをしていました。近々買いたい本があったので、アマゾンで検索してレビューを見ていたところ、星1つという一番悪いレビューが多数連なっていました。その著者の本は違うものを最近読んでいて私は良い文章を書く人だなと思っていたので、単純に不思議に思い、皆何に不満をもっているんだろうという“単純な好奇心“からレビューの内容を詳しく覗くことにしました。

的確な批評といえるものはなく、そのレビューの中には本の内容のみならずその著者本人の人格、人間性を全否定するような罵詈雑言で最新レビューが溢れていました。敵意のある人たちがこぞってレビューを残したものと思われました。

普段なら、そんなレビューなんてサッとスルーする私なのですが、その時は、妙に気になって、「なんでこの人たちはこんなことするんだろう」って感じで、悲しさを感じつつその人たちのことを思い浮かべていたんですね。で、そのレビューを眺めていると、もう心臓のあたりがザワザワしてきて、実際に苦しくなってきました。

「あ、やばい、いま波動めっちゃ下がってる気がする」

と思ったときにはもう遅くて、そのレビューした人たちの波動か何かとにかくネガティブなエネルギーをすでに自分が吸収してしまっていることに気づきました。

で、その画面を閉じて、スマホをカバンの中に入れて、気持ちを入れ替えようとしました。が、どうもやっぱりさっきの余韻が残っています

で、カフェのハッピーモーニングタイムはもう諦めて自宅に戻ることにしました。

ずっと心臓あたりがザワザワしていたので、とりあえず気分をあげようと思い、ワクワクするために思いつく限りのことをやってみます

栄養価の高い朝食を食べる、新鮮なフルーツを食べる、部屋の掃除をする、瞑想とヨガをする、好きな音楽を聴く、お香を焚く、好きな写真集や画集を眺める、などなど。だいたい、こういうことを2つや3つやると、気分よくなって嫌なことはすぐ忘れるのが普段の自分です。

でも、その日に限って、一向にザワザワ感は消えません

その日は午前中にやるべきことがあったので、その気分のままで作業するとパフォーマンスが上がらないことを自分が一番知っています。

「こんなに気分が良くない日は久々だな」と思っていたとき、ふと、7年ほど前に訪ねたある神社のことを思い出します。近くで用事があって、そのついでに立ち寄った神社です。その時は敷地内に入っただけで参拝すらしなかったのですが、最近神社巡りをし始めてからその神社のことが頭の隅のほうにあって、いつかまだ行こうと思っていたのです。

で、その神社のことを思いつくと、わずかながら気分が一瞬晴れた気がしたので、「おっ」と思い、もうそのまま行くことにしました。自宅からは約2時間の距離。

まず注目したいことは、行くと決めてから、神社に着くまでに起こったいろいろなタイミングの良さです。

快晴、信号が全部青、ATMを並ばず使える(いつも5人は並んでる場所)、プラットホームに着くと同時に電車が来る、電車の中で周りの人が楽しい会話をしている、話しかけた車掌さんの態度が最高にフレンドリー。

ぜんぶ単なる偶然と思えば偶然だし、そもそもそこにスピリチュアルな意味がないとしても、単純にこういう良い感じのことが続くと嬉しいものですよね。

という感じで、私のザワザワ感はこの時点で薄らいできていました。

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私の体験談 – 参拝中に起こったこと

以下では神社で具体的に起こったことを紹介していきたいと思います

1. 自分にとって的確な御神徳をいただける神社

神社に向かう途中、電車の中でいま向かっている神社のことをほとんど知らないことに気づきます(おそいけど)。そしてネットで色々調べるてみると、厄払いで有名、そして、海の神様、和歌の神様がいることがわかりました。

海=海外旅行、和歌=執筆と捉えることもできますね。

つまり、『朝に”邪気”を浴びたばかりの、”海外好き”の、ブログ”書いてる”人間』には三拍子揃った最適な神社だということがわかりテンションがあがります。

2. その神社で働く人が皆すばらしく良い人

私は普段から見知らぬ人に話しかけるのが好きです。「いい天気ですね」「犬かわいいですね」とかすぐ言いたくなります。で、当然そっけない人がいるのも事実です。神社で働いてる人でも、もちろん愛想のない人もいます。

でもこの神社で出会った人たちは本当に素晴らしかった。

御朱印を書いてくれた人の対応がものすごくよかったこと、警備員のおじさん、お守り買うときに対応してくれた人、ボランティアで神社内の落ち葉拾いをしてくれていた人などなど、皆さん私が話しかけると自然な笑顔と朗らかさで応対してくれました。

そして働いている人だけでなく、参拝者の人もすごいフレンドリー。私が歩いていると、おばあちゃんがおすすめの場所教えてくれたり、地元の人が詳しい説明をしてくれたり、夫婦とおぼしき二人組が話しかけてくれてひとときの世間話を楽しんだり。

「神社ってこんなに人とコミュニケーションとる場所だったっけ?」と良い意味で驚きました。

3. 祈っているときに風が吹いて、周囲の自然に挨拶されている気がした

これは歓迎サインとしては鉄板ですね。

誰もいない拝殿で、この日参拝に来れたことに対して感謝の気持ちを伝えていたところ、

風がバァーっと吹き始めたかと思うと、周りに合った大木の葉がけっこうな音を鳴らしていて、もういかにも「反応してますよ〜」みたいな現象が起きました。

思わず「えっ」と言って周りを見渡すと、やっぱり、木々の葉っぱ、地面に生えている草花も不自然なぐらい揺れている。。。

不思議なのは、私の身体に風は当たっていないこと。私自身は風を感じていないのに、周りの自然たちが激しく揺れていました。

で、次の参拝の人が見えたときには、風がピタッと止まりました。まぁこれも全部ただの自然現象といえばそうなのですけど、タイミングがタイミングなだけに。

4. なかなか見れないという蛇を見る

今の時期、蛇が見られることでも知られた神社でもあるそうで、もちろん私はそのことを事前には知らなかったのですが、三匹の蛇と遭遇しました。

見たときに、怖いという感覚はなく、自然に出てきた気持ちが「今日はありがとうございます」でした。特に違和感なく普通に蛇に感謝している自分に、自分自身が驚きました。でもそれは、その蛇が危険な存在ではなくて、守り神的存在ということを直感した結果、出た気持ちなのだと思いました。

5. 思い入れのある木に囲まれる

私にとってクスノキはとても思い入れのある木で、クスノキの(特に)巨樹に出会うたびに、自分のルーツに戻るようななつかしさと安らぎを感じます。

そして、この神社には樹齢千年を超える巨大なクスノキがあって、改めて、木に内在するエネルギーに圧倒される感覚を味わいました。

近所にある普段よく見るクスノキや、たまに見に行く指定樹になっている巨大クスノキなど、これまでバラバラの存在として接していたクスノキが、自分の中で一つのつながりのある生命体のようなものになり、それらの強固な根の上に自分が存在しているんだと安心感が強まった気がしています。

6. 動物が集まってくる

拝殿での参拝が終わってぶらぶらしていると池があったので、ぼーっと中を見ていました。
すると、池の中から亀が2匹顔を出しこちらを見ています。
鴨(水上2羽、地上1羽)も近寄ってきました。
そしてその後は猫が二匹。
小動物ワンダーランドみたいな感じに。

まぁ単に何か餌がないか狙っていたのかもしれませんが、笑

7. 人に付いていくとそこに素敵な発見がある

本殿の参拝を終え、帰ろうかなーと思っていたときのこと。私の後ろから歩いてきたおじさんが私を越して、奥まった場所に向かっていくところでした。

そのおじさんが全身真っ白の服で手ぶらでかなり怪しげだったんです、地元の人っぽいし、なんとなく気になってどこ行くんだろうと付いていくと(怪しいのはおそらく私)、その先には樹齢一千年のクスノキがありました。(ちなみにこのクスノキが前述した、すごいエネルギーを放っていた木です)

おじさんはそのクスノキにお祈りをしに行ったのです。のちのち知ったことですがその神社には末社がいくつもあり、そのクスノキがあった場所も末社の一つでした。

帰ろうとしていたところに、登場してくれたおじさん。そして、おじさんのおかげで予期せぬ喜ばしい発見がありました。

8. 話しかけた人に導きをもらう

クスノキの木に圧倒されたあと、池に再度訪れると、また違う地元のおじさんがいます。「さっきいた蛇がもういなくなったからやっぱりさっき見れてラッキーだったよ」とか「今日は亀もよく顔を出すし、良い日だね」っといった会話をしていたところ、おじさんが、「蛇を見たんだから、今日は向こうにあるもう一つの末社にも行っておいたほうがいいよ」と言います。(実際はすんごい関西弁で話しています)

せっかくなので、また別の末社も行ってみることにしました。

で、そこに行くと、「蛇のお守りはあちら→」といった張り紙がワザとらしげに貼ってあります。何ともいえない味のある張り紙。

せっかくなので今日見た蛇の記念に、お守りを買うことにします。

現金をおろしてくるのを忘れていた私に、おじさんは「またいつかでいいですよ〜」と言ってくれて、続けて「この奥にもまだ末社があるから、行くといいですよ、資金調達に御利益があると言われているのでちょうどいいかもですね、笑」と、なんともナイスな一言をいただきました。(結局、お守り代を払うだけの現金はあったのでその場で払えました)

もう流れ的には行くしかないと思い、また別の末社にも行くことにしました。

9. 滑稽なバチがあたっている人を目の前で見る

そして、その資金調達に良いとされている末社で、参拝をします。

その神社内を少し見て回っていると、私のちょうど目の前で、観光客らしき外国人の女性が御神木の前を通りすぎようとしているところでした。そしてその通りすぎるときに、ご神木の注連縄(しめなわ)をけっこう雑に触って、というかパンパン叩いていたのです。

「あー、それはまずいよ、たぶん、、、」と思っていると、目の前で、その女性がすべって転びました。

「ほら」笑。

たぶん女性は自分が注連縄(しめなわ)を触ったこととその転倒につながりがあるとは思ってないだろうし、本人は何も気にしていないと思います。

でもその場面を一部始終見た私にとって、少なくとも私にとっては、とても意味のあるメッセージでした。

いわゆる因果応報があることを知る、というメッセージではなく、そこに何かが存在していることを伝えるために実際に目に見える現象を起こしてくれたのではないか、ということです。

コメディのような場面が繰り広げられたこと、それは、神様が愉快に「ほら」と見せてくれたように思えて仕方ありませんでした。


以上の”ちょっと不思議なこと”は、神社の中でなくても、普段から周りで起こる出来事や、偶然の出来事に身を任せてみると経験することだと思います。

ただ、この日はその”凝縮度”がいつもよりすごかったと思いました。

振り返ってみたときに、そこにいた人たちが『実は、あの人たち皆神様だったんじゃないか』っていう思いすらしてきます。

すべてが一つの計画されたシナリオだったような気すらしてくる。

末社には行くつもりもなかったけれど、それぞれのおじさんが違う末社を勧めてくれてそれに導かれるようにして結局全部参拝することになりました。

で、最後に女性がすってんころりんしたことで、私は「もう参りました、神様、降参!」と心の中で笑いました。

実際のリアルタイムの中では、自分がとる言動はすべて「自分の行動」「自分の選択」という認識で行動していました。でも、いま思いかえすと、非常にふわふわとした状態で、なんとなく夢の中にいたような曖昧模糊に行動している自分がいるのです。現象を明確に思い出すことはできるのに、その登場人物である自分が、自分とは思えないこの解離感。

おもしろいですよね、この非現実感が。

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参拝後に起こったこと

住吉大社3

この出来事は2日前の出来事なので、参拝後に何か素晴らしい奇跡が起こったかというと、実は特にありません。

ただ、ラッキーだと思うことはいくつかあって、

  • 帰り道に偶然通りかかった古本屋で、欲しいと思っていた本が何冊もその本屋で見つかったこと(古本屋で欲しい本を狙い撃ちするのって難しくないですか?)
  • ずっと取りかかろうと思ってやっていなかったことがその日自然にスタートできた
  • 待ちわびていた連絡が来た
  • 新しいアイデアをいつも以上にたくさん思いついた

という感じで、思い返してみると、良い流れのことが起こったなと思います。

で、その流れをきっかけに、この先やりたいことやこのブログでやっていきたいことの構想も色々と拡がってきています。

どの出来事も偶然だし偶然じゃないし、意味があるし無いともいえる。

いずれにもしても私にとって大事なことは、時に起こるこういうちょっと不思議な体験を、ご縁として、チャンスとして、天の恵みに感謝しつつ暮らしていくことです。

そして、自分にできることは全部やっていく、実践していくことですね。

とても長くなりましたが、本日はこのあたりで。

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