【実体験】神社で起こる神様からの歓迎サイン& 神社参拝前後の現象

住吉大社 スピリチュアル

こんにちは、サリーです。

本日は、”神社で受け取る神様からのサイン”について。

私がまだまだ神社に興味がなかったとき、神道通の知り合いから聞いたことがありました。

「神社に通い出すと神様に呼ばれるようになる」

「歓迎サインと言われる不思議なことが起こるとその後運気が上がる」

すごく熱く語ってくださっていたのですが、当時の私は軽く聞き流していました。

でも、その人の影響や他の色々なタイミングが重なり、自分も定期的に神社参拝を行うようになり、最終的には自分も超小規模ながら神社ツアー(終了しました)を行うようになったりと、以前の自分では考えられない形で神社が身近な存在となりました。

現在私が提供する占星術セッションにおいてリーディングをする上でも、神社参拝の習慣から授かっている恩恵は非常にあるなと感じています。

さて、神社巡りをするようになるといつしか興味をもつのが、神社・神様からの歓迎サインというもの。神社巡りを頻繁にする人にとっては、けっこう知られているキーワードなのではないかなと感じています。

今日、歓迎サインのことを書く上ではじめに私が主張しておきたいことは、「歓迎サインについてそれが神様からなのかどうかの真偽を問うことに意味はない」ということです。

本記事でこれから紹介する私の体験談を読んで、馬鹿げた解釈だと感じる方もいらっしゃることは十分承知しています。しかし、結局のところ、「スピリチュアルは信用できん!」と一蹴してしまうのは非常にもったいないなと思うのです。

自分が体験した不思議な現象に対して、どう感じたか、どう意味づけをしていくのか、ということの方が大切なんじゃないか、というのが私の意見です。不思議な現象が起きたことに対する自分の反応を見つめつつ、実生活やこれからの指針に活かすよう方向付けることにこそ、スピリチュアルな解釈をする価値があります。

「神社に歓迎された!ヤッター!」と喜ぶのはもちろん素敵なこと。ただ、神様が歓迎してくれたかもしれないからこそ、これからどう生きていくことで、自分という人間を使って、この世に還元していくのか、という意識を常に忘れてはいけない気がしています。

神社参拝

神社参拝を習慣にすると得られる3つのこと。神社に通うと人生が変わる件

神社で起こる神様の歓迎サインといわれているもの

住吉大社2

本やインターネットで調べたところでは、以下のようなものが歓迎サインとして挙げられています。

  • 参拝中や鳥居をくぐるときに天気が晴れ渡る(曇りor 雨から晴れに変わる)
  • 境内で手を合わせている時に突然風が吹く
  • 自分の周りで蝶々が飛んだり、鳩が意味ありげに歩く
  • 祈祷や結婚式に遭遇する/太鼓の音を聞く
  • 虹が出る
  • 人払いが起こる(自分がお祈りするときor参拝するときに、人混みが引く現象)
  • 五感で感じる心地よさ(清々しい、温かさを感じる、風景が輝いて見えるなど)

これまで、私自身も何度か典型的な歓迎サインを経験してきました。例えば、伊勢神宮の豊受大御神を祀る外宮正宮で、お賽銭を入れようとしたときに、白幕が一気にバァーっとこちらに向かって上がりました。もうほんと突然に。周りの人たちも「神風や〜!」と大盛り上がり。

またその同日、同じく伊勢にある猿田彦神社に行って参拝しようとしたときに、それまで混み合っていた拝殿で皆タイミングを揃えたみたいにササーーっと去っていって、一人で静かにお祈りができたので驚きました。そして宮司さん(?)が何かの用事で普段は閉じている扉を開けたことで、奥にあった本殿が見えて、「なんてグッドタイミングな!」と感じる場面もありました。

そして、本日シェアしたいのは、私がつい先日体験した歓迎サインについてです。

いま思えば神社からのお招きだったかも – 参拝前に起こった出来事

ドライフラワー

今から話すことは、振り返ったときに「あれもぜんぶ前兆だったのかな」と思うことです。神社内で起こった歓迎サインだけをみるのでなく、神社に行く前から流れが始まっていたと考えたほうが私はしっくり来ました。

その日の早朝、私は近々購入したい本のレビューを見たところ、星1つという一番悪いレビューが多数連なっていました。その著者の別の本は最近読んでいて私としては好印象だったので単純に不思議に思い、皆が何に不満をもっているんだろうという”好奇心”からレビューの内容を詳しく覗くことにしました。

パッと見たところ適切な批評といえるものはなく、そのレビューの中には本の内容でなくその著者本人の人格、人間性を全否定するような罵詈雑言が並べられていました。敵意のある人たちがこぞってレビューを残したものと思われます。

普段なら、そのようなレビューはスルーするのですが、その時は、妙に気になって悲しさを感じつつ思いを巡らせていました。そしてレビューを眺めていると、心臓のあたりがザワザワしてきて、実際に苦しくなってきました。

何となく気分が悪くなってきたなと感じた時にはもう遅くて、そのレビューをした人たちのエネルギーなのか”重々しい波動”をすでに自分が吸収してしまっていることに気づきました。そのあと気分を前向きにしようと思い、ワクワクするようなことを思いつく限りやってみたのですが。

その日に限って、一向にザワザワ感は消えません。

「こんなに気分が良くない日は久々だな」と感じていたとき、ふと7年ほど前に訪ねたある神社のことを思い出しました。近くで用事があって、ついでに立ち寄った神社です。敷地内に入っただけで参拝すらしなかったのですが、この日ざわざわしている中で急にこの神社のことが思い浮かんだのですね。

そして神社のことを思い出していると気分がフワッと軽くなった気がして、私は日常においてこのようなささやかな感覚をかなり大切にしているので、自分の感覚を信じ、そのままその神社へ行くことにしました。

ということで、そこから神社に着くまでのタイミングの良さにまずは注目したいと思います。

  • 素晴らしい快晴
  • 信号が全部青
  • ATMを並ばずに使える(いつもは人が並んでいる)
  • プラットホームに着くと同時に電車が来る
  • 電車の中で周りの人が楽しい会話をしている
  • 穏やかな笑い声が聞こえる
  • 話しかけた車掌さんの態度が最高にフレンドリー

もちろんぜんぶ単なる偶然と思えば偶然だし、そもそもそこにスピリチュアルな意味がないとしても、単純にこういう良い感じのことが続くと嬉しいですよね。

このようなラッキーなことが立て続けに起こり、ザワザワ感は少しずつ薄らいできました。

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体験談 – 参拝中に起こったこと

では以下で神社で起こったことを順に紹介していきたいと思います。

1. 自分にとって的確な御神徳をいただける神社

これは神社に向かう途中の出来事なのですが、向かっている神社のことを詳しく知らなかったので調べてみると、浄化力、旅の安全、表現力アップなどの御神徳をいただける神社であることがわかりました。

海=海外旅行、和歌=執筆と捉えてみると現在の自分にとって適切な神社だったのです。

つまり、『朝に”邪気”を浴びたばかりの、海外旅行好きの、ブログを書いている人間』には三拍子揃った最適な神社で、神社に到着した頃にはかなりテンションが上がっていました、笑。

2. その神社で働く人が皆すばらしく素敵な人

私は普段から見知らぬ人に話しかけるのが好きなのですが、いかんせん勝手に話しかけるのでそっけない人がいるのはごく普通のことで特に気にしません。神社で働いてる人であっても、愛想のない人ももちろんいます。

でもこの神社で出会った人たちは本当に素敵だったのです。

御朱印を書いてくれた人の対応が爽快だったこと。警備員のおじさん、境内で対応してくれた人、ボランティアで神社内の落ち葉拾いをしてくれていた人など、私が話しかけると皆が皆、自然な笑顔と朗らかさで応対してくれました。

そして働いている人だけでなく、参拝者の人もなぜかすごくフレンドリー。私が歩いていると、おばあちゃんがおすすめの場所教えてくれたり、地元の人が詳しい説明をしてくれたり、夫婦とおぼしき二人組が話しかけてくれてひとときの世間話を楽しんだり。

「神社ってこんなに人とコミュニケーションとる場所だったっけ?」と驚きました。

3. 祈っているときに風が吹いて、周囲の自然に挨拶されている気がした

祈っているときに風が吹く、いわゆる神風。歓迎サインとしては鉄板ですね。

誰もいない御神木の前で、参拝に来れたことに対して感謝の気持ちを伝えていたところ、

風がバァーっと吹き始めたかと思うと、周りの木の葉がけっこうな音を鳴らして、もういかにも「反応してますよ」と感じさせる現象が起きました。

思わず「えっ」と言って周りを見渡すと、やっぱり、木々の葉っぱ、地面に生えている草花も不自然なぐらい揺れている。。。

しばらくして他の参拝客の方が来たときには、風が止んでいて。まぁこれも全部ただの自然現象といえばそうなのですけど、タイミングがタイミングなだけに意味を与えたくなってしまう!

4. なかなか見れないという蛇を見る

蛇が見られることでも知られた神社だそうで、もちろん私はそのことを事前には知らなかったのですが、三匹の蛇と遭遇しました。

見たときに怖いという感覚はなく、自然に出てきた気持ちが「今日はありがとうございます」でした。特に違和感なく普通に蛇に感謝している自分にびっくり。でもそれって、蛇が危険な存在ではなくて、神社をお守りしている存在なんだと直感した結果、湧き出た気持ちだったのではないかと感じています。

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5. 思い入れのある木に囲まれる

私にとってクスノキはとても思い入れのある木で、巨大なクスノキに出会うたびに、自分のルーツに戻るようななつかしさと安らぎを感じるのですが、この神社には樹齢千年を超える巨大なクスノキがあり、改めて木に内在するエネルギーに圧倒される、という感覚を味わいました。

これまでバラバラの存在として接していた様々な土地のクスノキが、自分の中で一つの繋がった生命体のように形成され、その大きな生命体の”根の上に自分が存在しているんだ”と感じられたことで、グラウンディングがかなりしっかりできたように思います。

6. 動物が集まってくる

拝殿での参拝が終わってぶらぶらした後、池をぼんやり眺めていました。
すると、池の中から亀が2匹顔を出しこちらを見ています。
鴨(水上2羽、地上1羽)も近寄ってきました。
そしてその後は猫が二匹。
小動物ワンダーランドみたいな感じに。

まぁ単に餌がないか狙っていたのかもしれませんが!笑

7. 人に付いていくとそこに素敵な発見がある

本殿の参拝を終え、帰ろうかなと思っていたときのこと。私の後ろから歩いてきたおじさまが私を越して、奥まった場所に向かっていくところでした。

そのおじさまが全身真っ白の服で手ぶらでかなり怪しげだったのです、地元の人っぽい身軽さだし、なんとなく気になってどこ行くんだろうと付いていくと(怪しいのはおそらく私)、その先には樹齢一千年のクスノキがありました。

おじさんはそのクスノキにお祈りをしに行ったのです。のちのち知ったことですがその神社には末社がいくつもあり、そのクスノキは神社の御神木でした。(これはさきほど述べた巨大なクスノキと同じものです)

帰ろうとしていたところに、登場してくれたおじさん。そして、おじさんのおかげで予期せぬ喜ばしい発見がありました。

8. 話しかけた人に導かれる

木に圧倒された後、池に再度訪れると、また先ほどとは違うおじさまがいました。会話をしばらくしていると、最後におじさまが、「蛇をせっかく見たんだし、向こうにあるもう一つの末社にも行っておいたほうがいいよ」と言います。(実際はすんごい関西弁で話しています)

せっかくなので、また別の末社・摂社も行ってみることにしました。

そしてそこに着くと、「蛇のお守りはあちら→」といった張り紙がワザとらしげに貼ってあります。何ともいえない味のある張り紙。

せっかくなので今日見た蛇の記念に、お守りを買うことにします。

現金をおろしてくるのをすっかり忘れていた私に、おじさんは「またいつかでいいですよ〜」と言ってくれて、続けて「この奥にもまだ末社があるから、行くといいですよ、資金調達に御利益があると言われているのでちょうどいいかもですね、笑」と、なんともナイスな一言をいただきました。(結局、お守り代を払う分の現金はあったのでその場で払えましたが。)

もう流れに委ねようということで、別の末社にも行くことにしました。

9. 不思議な現象を目の前で見る

そして、さきほど案内してもらった末社で、参拝をしました。

境内を少し見て回っていると、私のちょうど目の前で、観光客らしき外国人の女性が御神木の前を通りすぎようとしているところでした。そしてその通りすぎるときに、ご神木の注連縄(しめなわ)をけっこう雑に触りまくっていたんですね。パンパン叩いたり、引っ張ったり。

「あー、それはまずいよ、たぶん、、、」と思っていると、目の前で、その女性がすべって転びました。

「やっぱり」笑。

おそらく女性は自分が注連縄(しめなわ)を触ったこととその転倒につながりがあるとは思ってないだろうし、本人は何も気にしなかったでしょう。実際、その行為と転倒に因果関係があったかどうかなんてわかりません。むしろこれもただの偶然と言えば偶然です。

しかし、その場面を「一部始終」見ていた私にとって、少なくとも私にとっては、とても意味のあるメッセージでした。

いわゆる因果応報があることを知る、というメッセージではなく、そこに何かが存在していることを伝えるために実際に目に見える現象を起こしてくれたのではないか、ということです。

コメディのような場面が繰り広げられたこと、神様が愉快に「ほら」と見せてくれたように思えたのでした。

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その日を振り返ってみて

以上の”ちょっと不思議なこと”は、神社の中でなくても、普段から周りで起こる出来事や、偶然の出来事に身を任せてみると経験するです。スピリチュアルな生活を実践していると科学では決して証明できないような摩訶不思議なことは結構起こるんですよね。

ただ、この日はその”凝縮度”がいつもよりすごかったと感じました。

振り返ってみたときに、そこにいた人たちが「実は、あの人たち皆神様だったんじゃないか」という捉え方をしても全然アリなような気がしてくる。

摂社末社に行くつもりはなかったけれど、いろいろな人が違う社を勧めてくれて、それに導かれるようにして結局隅から隅まで参拝することになりました。

実際のリアルタイムの中では、自分がとる言動はすべて「自分の行動」「自分の選択」という認識で行動していました。でも、いま思い返してみると非常にふわふわとした状態で、なんとなく夢の中にいたような曖昧模糊とした意識で行動している自分だったのですね。

現象を明確に思い出すことはできるのに、その登場人物である自分が、自分とは思えない浮遊感。波動の高いところに行くと、変性意識状態になることがありますが、この日もその感覚がすごく強く出たな、という感じでした。

参拝後に起こったこと

この出来事はつい2日前の出来事なので、参拝後に何か素晴らしい奇跡が起こったかというと、実は特にはありません。

ただ、ラッキーだと思うことはいくつかあって、

  • 帰り道に偶然通りかかった古本屋で、欲しいと思っていた本が何冊もその本屋で見つかったこと(古本屋で欲しい本を狙い撃ちするのって難しいですよね)
  • ずっと取りかかろうと思ってやっていなかったことがその日、自然とスタートできた
  • 待ちわびていた連絡が来た
  • 新しいアイデアをたくさん思いついた

という感じで、良い流れが来ていることは間違いないんですね。

どの出来事も偶然だし偶然じゃないし、意味があるし無いともいえる。

いずれにもしても大事なことは、たまに起こるこういうちょっと不思議な体験を、ご縁として、チャンスとして、感謝しつつ前に進むことだと今回改めて感じました。

自分にできることをやっていく、実践していくこと。

どんな不思議なことがあったとしても、自分が動くからこそ道は開いていくのだということを忘れずに、これからも神社巡りを楽しもうと誓ったのでした。

長文記事をお読みくださりありがとうございました。

では、本日はこのあたりで。

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