人生のステージを上げるための秘訣 & 神様の話。講演会レポ。

ライフステージ_上げる秘訣 Mind

「興味があることは積極的にコミットしていく」

これは私が最近意識しているテーマです。

本を読んで面白かったら著者のホームページをのぞいてみるとか、関心ある分野の講演会に足を運ぶとか、良いと思ったことはすぐに実践してみる、とかとか。

良い本を読んで自分の中で満足感に浸るだけでなく、もう一歩先を考える。

良い出会いがあって、その出会いに感謝するだけでなく、なにかしらのカタチに変えていく。

感じたことがあって、それを味わって、「はい、終わり」にしない。感じた感覚やエネルギーを外に向かって出していく、あるいは外のために使っていく、みたいなことをしてみる。すると、最終的には自分にまた戻ってきて、またすばらしい感覚を味わうことになるという不思議な循環がこの世界にあることは確かだなぁと。

これまで自分の「内」で完結していたものから、一歩「外」に出て、その先を見るようにすると、内に向いていたエネルギーが活発に外に流れていく。そのエネルギーが流れる方向に進んでいけば、物事がスムーズに進むのは自然なことだよなぁとも思います。

ただ、その一歩踏み込む、というのが案外むずかしい。。意識しておかないと、物事って知らないうちにあっさり終わってしまうんです。そのあたりは良くも悪くも諸行無常なこの世界。

さて、本日の話題は、昨日参加してきた講演会についてのお話です(っていきなり話飛ぶ)。

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講演会に参加することの価値

昨夜、大阪で開催されていた、神道研究家である羽賀ヒカルさんの講演会に参加してきました。前半は羽賀さん自身による神社にまつわるお話で、後半はClover出版の小川会長とのコラボトーク。

私は人の集まるところが得意ではないので、普段なら大人数の講演会や勉強会などに行く気が起こりません。ただ上述の通り、ここ最近のテーマは「興味のあることにコミット」です。しかも普段から通っている書店で開催されるということで、これに参加しなかったらオマエは一生本の中だけで学ぶ人間になるぞ、みたいな警告がどこからともなく聞こえまして、勇気をもって参加することにしました。

(普段から講演会とかよく行く人にとっては、なんてことのない行動だとは思うんですけどね、しかも自分はただの聴衆なんですけど、それでもすごく緊張するのです。共感してくれる人がいることを願う!)

参加してみた結果、講演内容から多くの発見を得たことはもちろんなのですが、それ以上に、講演会というのはエネルギーを直接的に感じられる場所なんだなと改めて感じたことが大きかったです。

話すことによって講演者のエネルギーが広がる、それを聴衆者が受け取る、その循環によって会場に何ともいえない熱気が沸き起こる。

熱気がすごい、というのは、波動が上がることなのかなとも思います。素敵なトークショーはその場にいる人たちに、実際的な学びだけでなく、何かよくわからないけどすごくポジティブなパワーを与えてくれるものなんだと実感しました。

なので、今このブログを読んでいる人の中で、ワタクシ同様、講演会とか苦手なんだよなって人も、ご自身の手が届く範囲でいいと思うので、積極的に直接ご本人に会う場所に行ってみたり、関心分野についてのトークショーなどに参加してみることをおすすめします。

では、せっかくなので、昨日の講演会で印象に残ったことをいくつかシェアしたいと思います。

魂はsimカード

「魂はsimカードと同じで、カタチは変わっても核の部分は変わらない」by 羽賀さん。

魂はsimカードと同じ、というのは私も日頃から思っていることで、輪廻転生があることを前提としてお話するなら、何度も生まれ変わっても「核」となる部分は確かに同じなんですよね。

スピリチュアルなセッションを私は過去に何度か受けたことがありますが、私自身のことを全く何もチャネラーに話していなくても、チャネラーが話す過去世の私は、精神的なテーマがかなり似ていたりします。時代や住む場所によって、生き方や取り組むことは全然違ったりはします。あるいは、今世とは全く逆のことをしていたりもします。でも、結局のところ希求している核の部分は共通している。

姿・カタチは変わるけれど、魂は変わらない。

この世界で自分の課題であるカルマを乗り越えながら、魂を研磨していく。

人生で経験することは、すべて魂の研磨のためなんだ、という視点があると、自分にどんな試練がのしかかっても、乗り越えていこうと思えるモチベーションにもなりますよね。

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身体的特徴は自分の魂が望んで選んだもの

「魂はsimカード」という話の流れで羽賀さんがおっしゃっていた「身体的特徴は自分の魂が望んで選んできたもの」という言葉にハッとするものがありました。

口が大きい人or目立つ人は、たくさん話したいことがある、話すべきことがあるから、大きな口や目立つ口を自ら選んだ。

耳が大きい人or目立つ人は、聞く姿勢がその人生において大切なテーマだから、大きな耳や目立つ耳を自ら選んだ。

目が大きい人or目立つ人は、この世界をたくさん見たいから、観察したいから、大きな目や目立つ目を自ら選んだ。

背が低い人は、前世で人に何かを上から言う立場だったから、今世では謙虚な姿勢で人に接することを課題にしている。

こういう話には賛否両論があるかと思いますが、人相学の観点から考えても、自分自身や周りの人たちを思い浮かべてみても確かに当てはまるなぁと気がしています。

私の例でいうと、、

私の場合、目に特徴がある、というか目ヂカラがあるとよく言われますが、確かに私にとって視覚は他のどの感覚よりも大事なものです。見ること自体に大きな意味をもっていることに、写真を始めたときに気づいたんですね。あと試験勉強とかも、内容で覚えるのではなくて「参考書のこの場所にあれが書いてあったな」と場所で覚えていました。。。

また、背が小さい、ということについて私は学生の頃少なからずコンプレックスがありましたが、同じく写真を撮るようになってからはスナップ写真を撮るうえで小さい体であることに、計り知れないメリットがあることに気づきました。威圧感を与えない、危険を感じさせない、その結果、見ず知らずに私に写真を快く撮らせてくれる。

あるいは、一人路地裏でカメラを構えて歩いていても、私がもし長身の男性なら怖く感じる人がいるかもしれませんが、私のような150cmちょっとの女性がちょこっとカメラを構えてふらふらと歩いていても、周囲の人はほとんど気になりません、その結果私はのびのびと好きなように撮り歩きができる。(まぁ私の身に危険なことが起こる可能性は高くなるのですが、、)。

で、大事なことは、自分が生まれ持った身体的特徴を受け入れて、それを自分が選んできたんだなと思えたとき、その先に見える新しい何かがある、ということです。

魂レベルでは、実はいろんなことを話したくて、人に伝えたくて、大きな口で生まれてきているのに、静かに一人パソコンと向き合う仕事をしている場合。まずは近くの人に自分の思っていることを気兼ねなく話してみるといいかもしれません。

魂の研磨だとかちょっとよくわからないことは、信じなくてもいいんです、ただそういうこともあるのかなと軽く思って、遊びとして、自分の身体的特徴を使ってできることを何か試してみたら新しい発見があるかもねって感じ。

今いる場所でやり尽くすこと

講演会の中で、Clover出版の小川会長がこんなことをおっしゃっていました。

「今いる場所でやり尽くすことでステージが上がる。何かが嫌だからという理由で、その場所を離れると、結局離れた先にも同じような状況に出くわすことになる。」

これは、もうほんとに深く深くうなずきました。

嫌な職場にいたり、自分の今の環境が辛かったりすると、そこを離れたくなります。

実際に離れた方が良い、という場合ももちろんあります。できる限り、早く逃げた方がいい、という状況があるのも確かです。

でもですね。

ただ何となく嫌だ、とか、気に食わない、相性が合わないといった場合、

その環境のもとで、自分が何かを変えられないかと考え、行動していくほうが得策だということ。今いる場所で何かしら工夫することから始めることで、結果的には幸運を得ることが多いのも確かなのです。そして、その幸運には、必ず「自分の成長」がセットになっています。

自分の考え方や習慣、ちょっとした行動を変えていくことで、周りは変わっていきます。不思議なことですが、ここには『鏡に法則』というものが働いているのですね。

今の状況の中で自分ができることを一つ一つやって、できれば他の人にも良い影響を与えるようなことをやっていくと、ふと新しいステージが目の前に用意されていることに気づく。その先そのステージで上手くいくかどうか別問題ですが、とにかくそういうふうに宇宙はできているんですねぇぇぇぇ。

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毎日少しずつ良くしていく

講演会の後半は、小川会長がこれまでどのようにして、人生のステージを変えてきたか、というテーマだったのですけど、羽賀さんと小川会長が何度もおっしゃっていたことは、「何かを変えたいなら、一気に変えようとするのではなくて、毎日少しずつ良くしていくことを考える」ということでした。

健康な生活を送るぞ、となった場合、あれもこれもとやったほうがいいことはたくさんあるわけです。世の中にはいろいろな情報もサービスも商品もあります。でも一気に今の自分の生活を変えようとして頑張ってしまうと、無理がきてリバウンドが来ます。

何かを変えたいときに、大事なことは、負担なくできることから少しずつ変えていくこと。

100均で買っていた塩を、千円ぐらいの良い塩に変えてみる、とか、水道水を飲むのをやめて良い水を買うようにする、とか。

下世話な話、自分のメンタルを大きく変えなくても、ほんの少しお金をかければ変えられる部分ってありますよね。そういった取り組みやすいことをバカにせずにやっていくことが大切だということです。

小さな良いこだわりを少しずつ増やしていく、ということが最終的に大きく変化していくための秘訣なのですね。

自分:人 = 4:6

「自分がちょっと損するぐらいでいい、4:6ぐらいで相手に少し多くメリットがあるぐらいがちょうどいい」

小川会長のこの言葉にもハッとしました。

GIVE & TAKE が大事だとは頭ではわかっていても、欲にくらむとついついTAKEばかりを、つまり自分が受け取ることばかりを「知らず知らずに」意識しているものです。

人って結果的に、損「した」ことにはまぁ許容できたとしても(というか過ぎたことだから許容せざるを得ない)、「前もって」損することを「受け入れる」ことは、かなりむずかしいことなのではないかと思うんです。

あくまでも自分にもメリットが4あるので、奉仕活動ではないんですけど、相手に6与えた上でお互い良い関係性を築くためには、自分が4であることに対して自己犠牲の気持ちがあると駄目なんですよね。自己愛と他者愛の絶妙なハーモニーがあってこそ、成立する。そんなことを改めて感じました。

というか、心積もりとして「自分は4でいい」と決めるってこと自体がすごい。見習いたいです。

陰徳を積むということ & 不思議体験

講演会レポとかいいながら、羽賀ヒカルさんの神社の話はしていない(笑)。

ということで最後に、講演後私の身に起こったエピソードを一つ話したいと思います。(結局神社の話はしないのか自分。。。神社は神社ネタで別途!)

講演の中で、羽賀さんが小川会長に「人生のステージを上げるために普段意識していることは何ですか?」みたいな質問をした流れだったと思うのでけど、その質問に対して小川社長が過去のエピソードをお話したんですね。

その中で、陰徳を積んでいくと、やはり良いことは起こるということをお話されていて、具体的には、街を歩いていてゴミを見つけたら拾うとか、居酒屋でトイレに行ったらササっと掃除をするとか、忙しくても困っている人がいたら助ける、とかそういう内容でした。

ゴミを拾うとか、偶然入ったトイレをサッときれいにするとかって、人知れずできるかどうかだよなぁ、まさに陰徳だよなぁ、と自分に言い聞かして、私は講演を後にしました。

そして帰り道でも、「どうせ誰にも見られてないしな」と思うか、「誰も見てないけど、ただやろう」と思えるか、その辺の違いで人生の違いが起きてくるんだろなぁ、なんて思っていたんです。

そして翌日、つまり今日のできごと。

私が駅方面に歩いていたときに、駅からすごいスピードで走ってくる少年がいました。とにかく急いでいる。階段を何段か飛ばして下りてきて、階段の下にいた私を一瞬で過ぎていきました。

その慌てっぷりに圧倒されて、私は振り返って彼の姿を目で追ったんですね。

すると、全速力で走っていたその勢いのまま、パッと一瞬ベンチの方に向かっていって、そこにあった何かを拾ってまた走り出しました。

忘れ物かな、と私は思いました。

そして引き続き見ていたら、そのベンチの少し先にあったゴミ箱にその何かを入れました。

捨てる瞬間に見えたのは、缶コーヒーでした。

百歩譲って、もしかしたら彼が数分前に飲んで、捨て忘れたコーヒーだったかもしれません。それでも、戻ってきたタイミングで捨てたのは素敵なことだと思います。

でも、多分そうじゃないと思うんです。

走っている時に、パッと缶コーヒーが視界に入って、迷いなくそこに向かって、拾って、パッと捨てた。で、また目的地にダッシュで向かっていった。

あの速さは普段から当たり前のようにやっていないと出来ない瞬発力だなと思いました。

彼の一連の行動に感動しつつ、その場面を反芻しながら歩いていたところ。。。

公園の前でおじさん(たぶん60歳後半ぐらい)が、ふと私の視界に入りました。道をはさんで私のちょうど正面にいたんですね。何を思うこともなく何となく見ていると、そのおじさんが、ポケットから何かを出して、それを落としました。

前を向いたまま、素知らぬ顔で、タバコの空箱を故意的に捨てて、去っていったんですね。

私は、捨てられたゴミの目の前にいました。すべてを見ていました。

そして、さっきの少年を思い出しました。

「あぁ、ここで私が拾うことを神様が見ているんだ」と思いました。

誰にも見られていないとか、何のためになるとか、そういう次元の話ではそもそもなくて、神様はいつだって見ているんだなと、すっごい納得したのです。

昨夜、帰り道で「誰に見られなくてもイイことやっていこう」と自分なりに決意したことも、実はポイントがずれていて、そもそも全部神様は見ているんだと、だからそんなことは考えずに、ただただ陰徳を積んでいけばいいだと、これまたハッとしたわけです。これってまさかの神様からのフィードバックなんじゃないかと。

缶コーヒーを拾ってゴミ箱に捨てた少年も、タバコの空き箱を捨てたおじさんも、どっちも神様か、神様の使いか「何か」かもしれない。あんなにクリアに私にぜんぶを見せてくれるなんて、この世の神秘を感じずにいられない。。

そう考えると、自分は、目ヂカラを自ら選んで生まれてきて、見ることによって世界の神秘に気づくようにプランしているのかもしれない、なんてことまで思ったり。

まぁそんなことはさておき、私が最も言いたいことは、陰徳をコツコツ積んでいたら、神様はきちんと見ていますよ、ということ。

私自身の体験をシェアさせることで、これをいま読んでくれている人に、神様があなたにメッセージを送っているのかもしれません。

「イイことしたらイイことあるぜ、ワシが見とるからな、ホッホッホッ。」

みたいな感じ?

では、本日はこのあたりで。

タバコの空き箱

(拾ったタバコがなんだかありがたくて捨てられない私をアナタは笑うでしょうか。。。)

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