神社参拝を習慣にすると得られる3つのこと

神社参拝 神社

こんにちは、サリーです。

本日はかなり久々に、神社にまつわる話を。

私自身がすごく実感している、「神社参拝を習慣にすることの魅力」についてです。

神社の清浄な空気や神様文化が好きで、日頃神社に行く習慣ができたことで恩恵を授かっているなと感じることが多いので、それを伝えたいという思いゆえ。

神社への参拝が習慣になったことで、どんなふうに自分が変わったかを振り返りつつ、その過程で得られたことや身に付いたことをシェアしたいと思います。

習慣としての神社参拝で意識したいポイント

神社参拝_習慣

まずはじめに。神社に行くときは、神社への敬意、神様への敬意、そしてそこで働く人たちへの敬意をもって参拝するのは、忘れずにいたいですね。これは大前提。

そして、習慣として「日常的に通う神社参拝」をおすすめしたいと私としては、近所にある身近な神社を大切にする、自分の地域を見守ってくれている神社との結びつきを強くすることを意識したいと思っています。

もちろん、秘境といわれる地に出向いたり、全国各地の有名どころに参拝するのも楽しいし、私自身とても好きなことではあるのですが。

ただ、実際に自分自身の意識がいろいろな意味で変わってきたのは、自分の地域にある神社を定期参拝するようになってからだなと。

ミーハー的に年に数回だけ訪れていた時には感じられなかった不思議な繋がりというか、見守られている感じ、というのは、氏神神社や産土神社、あるいは崇敬神社に何度も何度も通うなかで築かれていくものなのではないでしょうか。そのあたりは人間関係と同じ感覚で、「絆を深める」つもりで何度も通うのが良いと思います。

そして定期的な神社参拝においては、劇的な変化や摩訶不思議な体験を期待するのではなく、食事をするように、歯磨きをするように、日常的なサイクルとして神社に行って自分を整える、という感覚で行うのも、長く続けるコツだと思います。で、続けるうちに、神様たちとのネットワークを広げていく感じ。

ちなみに、一人ひとりを見守る特定の神様がいる、という考え方もあって最近は「自分用神様」を鑑定する、というのがあったりしますよね。で、確かに、ご縁のある神様というのはいると思うのですが、個人的には、一柱の神様に見守れていると思うよりも、すべての神様に見守っていただいているという前提でそのなかでも特に相性の良い神様がいるんだな、という風に捉えています。

あと、神社は神聖な場所だから毎回厳かな気持ちでパリッと全力の意気込みで行くべきかといえば、必ずしもそうではないんですね、きっと。

実際に宮司さんのお話を聞いてても、地域の憩いの場として使ってほしい、散歩ついでに寄ってもらっていい、といった声も聞きます。(マナーは守ったうえで)「散歩がてらフラッと気軽に寄る」というのは、神様の存在を身近に感じるためにも積極的にしていいことなんじゃないかと思います。(特別参拝のときは、ビシッといきましょう)

ということで、本記事の前置きとしてまずは、「フラっと日常的に通える神社への参拝を習慣にしよう」ということを提案したいと思います。

では以下で、神社参拝を続けるうちに得られたことや身に付いたことを紹介していきます。

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1. 静かに過ごす瞑想時間で思考が洗われる

神社参拝_瞑想

神社ツアーを企画している私が言うのもアレなんですが、定期的に同じ場所に通う神社参拝については特に、基本「一人」で行うのが良いと思っています。

誰かと行くとどうしても会話が発生するので、場の気を感じるセンサーが少なからず弱まると思うんですね。境内に漂う空気を存分に味わう、自分の五感を研ぎ澄ます、という点では、やはり一人がおすすめ。

その上で、神社の知識を増やしたい、違う角度で神社参拝を楽しみたい、となったときに、旅行会社や個人の方が企画しているツアーなどに参加すると、新たな発見が多くとても勉強になります。

とまぁツアーのことはさておき、一人で参拝することで、瞑想時間を作ることができる、というのがまず第一のポイントです。

鳥居をくぐったら、そこからはあれこれ考えるより、ぼーっとして、頭の中を空っぽにする感覚で。

せっかく神社に来たんだから、神様に伝えたいことを考えよう、神社の清浄な空気をできる限り吸い込んでおこうと意気込むかもしれません。が、気合いを入れるよりも、感謝の気持ちと共に、ただそこに自分が存在していることを感じることにフォーカスしたほうが、神社の歓迎サインみたいなものにも遭遇することが多いように思います。

ただ在ることを意識するとピュアな祈りが出てくるし、本心の望みにもアクセスしやすいですね〜。

なので、前もって何を祈ろうとか決めていなくても、鳥居くぐって本殿に向かうまでに、自分の状態を澄ますことを意識していれば、祈るべきことは自然と出てくるようにも思います。

自分を空っぽにするようにしていると、たまにほんと不思議な変性意識状態になることがあり、はじめは低次の霊に憑依でもされたのか、なんて思ったこともありました、笑。ですが、そのあとの思考の透明度や洞察力を検証すると、やはり変性意識状態において、自分の顕在意識では認知できない日々蓄積されたノイズが洗われているのだと確信するに至りました。

早朝など人が少ない時間帯に神社に訪れるようにすれば、ただ境内を歩いているだけで深い瞑想状態に入れますヨ。

ということで、神社参拝を習慣にすることで得られるものとして、神社という清浄な場所での瞑想状態で思考が洗われる、ということを挙げておきます。

お賽銭入れて終わり、ではなく、そこにたどり着くまでにゆっくり時間を過ごすことで瞑想状態となり、結果的に自分にとってベストな祈りを捧げることにも繋がるかと。

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2. 神様のサポートを感じられる

神社参拝_神様

神様からの後押し、というのは、やはり見えない存在を感じる領域なので、証拠はないし、本当にそれが神様からのサポートなのか、というとわからないわけです。そこはもう、ただただ感じるしかありません。

とはいえ、一つ言えることは、神様がこの三次元世界で行動する人間をサポートしたいと願っているということは間違いないだろう、ということです。サポート、というと誤解があるかもですが、人間の幸福を願っている、ということですね。

私自身の世界観として究極的には全部愛だと思うので、喜怒哀楽含め優劣善悪成功失敗などそもそも何もない、ポジティブな意味で生きることには意味も目的もない、地球人としての体験があるだけ、という考えを持ってはいるのですが(極端!)、とはいえ、地球に住んでいる限りは、そして日本に住んでいる限りはやはり箱の中にいるんですよね。

なので、この地球という「枠内」においては、人間的な幸福を目指すことが一つの到達点だといえます。

幸福のカタチは人それぞれなので、ある人にとっては「あり得ない!」と思う生き方が別の人にとっては「これこそが私の人生!」となったりします。が、それはお互いの魂がテーマとしているところが違うだけであって、自分自身の生き方に満足しているのであれば、両者が争うべきポイントは本来ありません。

しかし、世間や周囲の人からの影響で自分が本来望むことを追求できない現実があったりして、なかなか満足のいく生き方ができないものです。そこにフラストレーション・鬱憤などが蓄積するから小さな紛争が日々起きるわけで。

で、世間や周囲からの影響を受けすぎている、というのは、地球あるいは日本という三次元世界に束縛されすぎているということでもありますので、その束縛から解き放たれることが時には必要かもなんです。ちょっと離れてみる。

離れて何をするか。違う次元にいる見えない存在たちに協力してもらうんですね〜。

ということで、精神世界を毛嫌いしている人は実はすごく損をしているかも。地球で、日本で、行動するために、同じ箱の中の「違う次元」にいる見えない存在たちからサポートを受ける、というのはごくごく自然なことなのです。wifiだって、電波は飛んでても目に見えない、でも、ちゃんと繋がってますよね(笑)

あと、神様さまからの「サポート」という意味では少し違うかもしれませんが、神社参拝を習慣にしていると、自分が行なっていることに対して愛ある監査役が入るという意識も常にあります。ちゃんとしようと自然に思えるし、「人事を尽くして天命を待つ」という感覚がリアルに身につきます。

人生の何もかもをコントロールことはできないし、コントロールできることが良いとも限りません。結局大事なことは、自分のできることを全てやってその上で結果にはこだらない、流れに委ねる、ということなんじゃないかと思うのです。

で、この姿勢って、よくよく考えてみると神社参拝を習慣にする以前の自分にはなかった態度。結果にこだわらないからこそ、いまこの瞬間のやるべきことに集中できる。雑念に邪魔されまくってやるべきことが進まない、なんてことも減ったように思います。

「これをすることでどう思われるか、どうなるか、評価されるのか無視されるのか、失敗しそうか成功しそうか」など考えず、ただただ自分がやりたいと思ったら淡々と進める。やるならやるで、ただ続けるだけ。

そういったタンタン感覚(と私は呼んでいる)は、特別なことがあってもなくても神社に通い続けるという習慣ができたことで、もたらされたことなのかもしれません。

ということで、神社参拝で得られることの二つ目は、神様からのサポートがあるということ。具体的なわかりやすい出来事とかミラクルが起こるとかじゃなくても、見えないところでたびたび応援してもらっている、これは確かにあると思います。

見えないところで助けてもらっているんだと思えれば、日頃からあらゆることに感謝の気持ちをもつことがいかに大事かもわかりますよね。

ただですね、、、これまで言ってきたことを覆すようなことをちょっと言いますが。祈りや宣言は、最終的に自分に戻ってくるものですし、一人一人に本来神性があると思うので、神様を外的存在として捉えるよりは、そもそも自分に内在している、という視点もあったほうが良いとは思います。

実は自分自身も神の一部、いや、神なんだと(言い過ぎ?)。自分のなかにいる、それぞれ違う役割をもった神様を発動させていくという感覚でしょうか。

自分に無いものを、自分の外にいる神様に「もらう」のではなく、本来備わっているんだけど眠っているパワーやエネルギーを目覚めさせる、という感じです。あくまでも人生を切り開くのはあなた自身であることを忘れずにいてほしいと思います。

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3. 癒し効果と情熱スイッチ

神社参拝

神社に行くと開運ができる、というのはよく言われることですが、御神徳のことはさておき、開運できる要因の一つは自然の力だと私は感じています。

神社には、鎮守の森といって、境内やその周辺に、神殿や参道、拝所を囲むように配置されている大小の森林があります。

樹木をはじめ、自然がもたらす癒し効果が科学的にも実証されていることは、多くの人がご存知ですよね。The マイナスイオン。

疲れたとき、ストレスが溜まっているとき、テレビをだらだら見て過ごすのは論外。さらには、とりあえず寝て忘れようとするよりも、あるいはお風呂で疲れを取ろうとするよりも、実は、自然豊かな場所にパッと出向いて、緑をたくさん見て自然のエネルギーを浴びまくってパッと帰った方が、効果があったりする。

これは簡単に言うと、自然には人間をはるかに上回る生命力があるからです。

自分一人で疲れを癒そうとしたり、あるいは干からびた情熱を燃やそうと頑張っても、単独のチカラだけでは上手くいかないこともあります。

で、自分でどうすることもできない、人に頼ることもできない、という時はなんだかんだで「場のパワー」「自然のパワー」が役に立つのです。

差はあるでしょうけど通常神社には多くの樹木が植えられていて、自然豊かな空間です。癒し効果があると同時に、お賽銭をして祈りや誓いによって情熱を高めるための空間もあります。

ということで、神社には鎮静作用も加熱作用もあるので(?)、自分の状況に応じて場の力を借りたら良いのではないかと思います。きっとそれは他力を上手に使う、ということでもある。他力の「他」は必ずしも人間である必要はありませんからね。

境内にある様々な浄化スイッチ

神社の境内には、私たち人間の意識に働きかけるための仕掛けが多くあります。

鳥居をくぐること、参道を歩くこと、手水舎で口や手を清めること、玉砂利のうえを音を立てて歩くこと、お賽銭を入れる前に鈴の音を鳴らすこと、、etc。すべては穢れを祓うためだといえます。

このようなプロセスを意識的に経験することで、心身はより清浄になり、非日常空間&時間を認識できます。と同時に、敷地内の自然のエネルギーは意識せずとも浴びることになりますから、浄化作用のみならず癒し効果も抜群。

そのうえで、祈りを放ち、誓いを立て、新たなる自分で歩むのだと決意する。これを日々の習慣として続けていれば、それまでの自分が仮に無気力だったとして徐々に好奇心や情熱が湧き出て、自然と動きたくなります。

「情熱スイッチがonになる」、これもまた神社参拝を習慣にして得られるものだと思います。

なぜかわからないんだけど、普段は思いつかなかったようなアイデアや言葉、思い、そしてどこからともなく直感ややる気が湧き出てくる。そんなことがきっと増えるはず。

清浄な場所で定期的に自分を一新することで、内的エネルギーもまた切り替わっていくでしょう。

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あとがき

神社参拝

以上、神社参拝を習慣にすると得られるものについて私なりの意見を紹介しました。

得られるもの、と表現するとなんだか俗っぽくて、信仰という意味ではどうなんだ、という意見があるかもしれませんが、「宗教制度」自体はそもそも人が幸せになるために、人間によって造られたものです。なので、自分が幸せになるために、周りを幸せにするために、神社に通うことで得られるものがあるのであれば、それは一つの信仰のカタチでもあると思います。

自己変革のプロジェクトとして、神社参拝の習慣を持つことは、現実生活に実際的な効果をもたらしてくれます。ということで、まずは習慣づくりという観点で神社参拝をおすすめしたいです。

そしてさらに一歩踏み込むのであれば、参拝習慣だけで終わらせず、神社の歴史や神話などを詳しく学ぶようにすれば、ビジネスやキャリアでも役立つ視野の広がりや視座の高まりを感じていただけるだろうとも思います。

神社について学ぶことは、幅広い歴史を学ぶことでもあります。

自分たちが生きている時代より遥か昔のことを知ることで「歴史感覚」を育むことができます。そして、その歴史感覚はきっと、あなたの人間としての器を広げてくれるはずです。

自分の存在を、現代に突然生まれた「点」としての生命として捉えるか。長い長い歴史を経た流れの中で生まれた「連続体」としての生命と捉えるか。

「連綿と続く日本史(地球史)があって、今回の自分の人生もその途上にあるのだ」という感覚が普通にあれば、目の前の問題やトラブルに対する心持ちも変わってくるかと思います。何事も大きな視点で捉えることができるかなと。

まぁ私自身がその視点を今習得できているかといえばまだまだなんですが(笑)、それでも、神社を通して以前より歴史や神話がさらに好きになったおかげで、視野も広がったし、視座もおそらくですが高く持てるようになったのではないかなぁと思っています。

きっと魂は日本を「選んで」生まれてきたはずで、そうであるならば、日本のそこら中にある神社を探求しない手はないな、と。かつて西洋かぶれだった自分が、神社をきっかけに日本好きになったのがすごく愉快でもあります。

今回の記事がきっかけとなって、神社参拝が習慣となり、あなたの生活がますますハッピーになれば幸いです。

(ちなみに本記事の写真は、京都の松尾大社、兵庫県の生田神社&越木岩神社で撮ったものをミックスさせてます。どの神社も素敵ですよ〜、って勝手に宣伝。)

では、本日はこのあたりで。

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