自己啓発の源流「アドラー心理学」のすごさ。幸福は、過去から自由になれるかどうかにかかっている

アドラー心理学_過去 Book

私たちの世界には、本当の意味での「過去」は存在しない。

こう言うと、皆さんはどう思われるでしょうか。これはアドラー心理学のなかで私が非常に衝撃を受けた一文です。

「共同体感覚」「勇気づけ」など、アドラー心理学の本(嫌われる勇気とか)を読んだことのある人からは広く認知されている概念は他にもいくつかあるのですが、今日は私が最も衝撃を受けた過去の概念(正確には目的論の一部)、つまり、私たちは過去の記憶をどう扱っているのか、というテーマに焦点を当ててアドラー心理学をひっぱりつつ話したいと思います。

私たちは生きている限り色々な経験をします。よく映画のストーリーなんかでもあるように、ちゃんと生きようとしている人ほど、苦難があったり、人にだまされたり、悔しい経験をしたりします。

で、映画なんかでは、主人公はだいたいそういう苦難を乗り越えて、輝かしい未来へ羽ばたいていきます。映画だけではなく、世界各地の民族がもつ独自の神話体系には共通の主題や題材も多く、ある一定の法則にしたがって作られています。(というより多くのヒット映画は神話をロールモデルにしています。このあたりのことは神話学の巨匠ジョゼフ・キャンベルの『神話の力』が面白いですヨ!)

でも多くの人にとっては、というか少なくとも私にとっては、映画や神話のようにうまく人生を展開できてないよってなります。

世界中で戦争をやっていた時代のように、明日死ぬか生きるかの切迫した状況では生きていませんし、日本にいれば、飢餓で死ぬこともあまり考えにくい。むしろ、ちゃんと働いてお給料をもらっていれば、好きなものも大体は買えるし、休みさえ取れれば海外に行くのはハードルが随分低くなりました。(日本人にとっては休みを取ること自体が難しいのですが、まぁその問題はちょっと置いておいて。。。)

ほんと贅沢な時代です。

でもやっぱりその一方で、豊かで平和なこの時代に多くの人が自分の魂の底から充足感を感じられる人生を送れていないというのも否定できないのが現状だと思います。

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不幸の大きな原因は過去に縛られていること

過去の記憶_アドラー

充足感を感じられていない要因の一つとして、「過去に縛られている」というのが、大きく占めているのではないかと思います。昔と比べれば、今では生活が劇的に便利になったおかげで、有益で生産的なことを考える時間を生み出すことができます。しかしその一方で、余計なことも考える時間も発生します。

私自身、本当にどうしようもないくらい小さいことを気にする時代があったので「過去に縛られる」という点ではめちゃくちゃ心身ともに消耗してました。そして、そのため一大決心をして、人一倍の注意と訓練を持って「縛られないよう」に自分をコントルールしてきた経緯があります。

当時の自分にとっては日常のすべてがとてもシリアスで、基本的に世界は敵意に満ちたものだったのです。そして、長い時間をかけて、徐々に今の自分のベースとなるイージーゴーイングな性格へと舵を切ってきました。

なので、私は「過去に縛られず精神的に自由に生きる」ためのメンタルコントロールを意識してきたタイプなのですが、それでも、「幸せになる勇気」を読んでまだまだ自分が過去との関係においてできることがあると気づいたし、なんなら肝心なことやってなかったなー!と発見しました。

過去にどのような意味づけをするかによって記憶が変わる

アドラー_過去

われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。

色々なことを考える時間があれば、もちろん過去のことも考えますね。特に現在の状況が、自分の好むものでなかった場合、未来を展望することは難しく、どうしても過去に気持ちが向きがちになります。

そして、意識する・しないに関わらず、私たちは自分の過去の出来事に意味を与えています。たとえば、自分が辛い子供時代を送ったとして、その過去に、「家庭環境が悪かったから性格が暗くなった」という意味づけをします。家庭環境が悪かったことで、今の不幸な自分がいる、つまり過去をトラウマ的なものとして、記憶の中に残します。

でもアドラー心理学では、「人間はいつでも自己を決定できる存在である」とします。

つまり、自分の人生を決定するのは、過去ではなく「いま、ここ」を生きるあなた、だということです。冒頭で述べた「世界には、ほんとうの意味での「過去」は存在しない」というのは、その意味においてです。

人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者であり、その過去は「いまのわたし」の正当性を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。

人は過去に起こった膨大な出来事のなかから、いまの「目的」に合致する出来事だけを選択し、意味づけをほどこし、自らの記憶としている。逆にいうと、いまの「目的」に反する出来事は消去するのです。

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私の体験より

ちょっと具体例として私の体験を紹介します。特に女性は私と同じような過去の意味づけをしてる人が多いかもなので。

私には、海外一人旅をよくしていた時期があります。危険地帯には行かなかったものの、ミニハプニングは色々と経験しました。バンコクでは、タクシーに変なところに連れて行かれ、僧院で長時間説法を聞かされたあとお金を要求されたり、パリでは子供のジプシー集団に包囲されてスマホを盗られたり、ブルガリアではゲストハウスでアラブ人に迫られたり、イスタンブールでは睡眠強盗にあいそうになったり。こういった小さい事件は女性一人で旅をしていると割とあるかと思います。

これらの経験を振り返ったとき、実際にスマホを盗られたという事実は変えられませんし、怖い思いをしたことによって、嫌な印象が残っているのも確かです。数年経ったいまでも外国で子供の集団を見ると、気持ちより先に体が反応して一瞬動きが止まることがなきにしもあらず。

でも旅で嫌な目に合ったという過去を振り返るときに、何よりも私が本当に注目すべきなのは、旅の中で人に助けられていたことも事実だ、という記憶なのです。

良い記憶を嫌な思い出の上に塗って、記憶と過去を再選択することです。

たしかにスマホは盗られました、でもそのあと、偶然にも通りかかった人に声をかけてもらって傷心してる私をお昼ごはんに連れていってくれました。しかもその後、諸々の手続きも手伝ってくれました。そして、ゲストハウスではいい仲間に巡り合って、素敵な歌を聞いたり、皆で車を借りてひとり旅ではなかなかできない車移動での観光もできました。

そしてパリだけでなく、同じように嫌な目に合ったそれぞれの土地でも、私に親切心でいろいろな情報を教えてくれる人はいつだっていたし、写真を喜んで撮らせてくれたり、スマイルでこんにちはって言ってくれたり、日本のことに興味をもっていろいろ聞いてくれる人もいました。

彼らが私にしてくれら行為の真意っていうのは全くここでは重要でありません(もしかして、あとで騙すつもりだったかもしれないとか)。

大切なのは、私の心を少しでも幸せにしてくれた彼らが実際にいたという記憶を「選択する」ということです。

過去から自由になる

過去から自由になる

このようにして、過去に実際起こったことに対してどの記憶を選択し、どんな意味づけをするかで、今の自分を変えることができます。

「世界は危険なところであり、人々はわたしの敵である」とみるか、「世界は安全なところであり、人々はわたしの仲間である」とみるか。

捉え方をかえるだけで、その過去の記憶はアップデートされ、過去の記憶によって狭められていた現在の自分の価値観が、より自由になります。それほど私たちは過去に縛られて生きているのです。

過去が「いま」を決めるのではありません。あなたの「いま」が、過去を決めているのです。

いつなんどきも、私たちは自分を変えることができるし、過去だって変えられるのですね。

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不遇ないまのつらさを忘れるために悲劇という安酒に酔う

どうして過去に起きた悲劇を「教訓」や「思い出」として語る人もいれば、いまだその出来事に縛られ、不可侵のトラウマとしている人がいるのか?
これは過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。あえて厳しい言い方をするなら、悲劇という安酒に酔い、不遇なる「いま」のつらさを忘れようとしているのです。

厳しいことばですが、上の引用は真理だと思います。私は本記事で「過去に縛られる」という表現を何度か使ってきましたが、アドラー心理学的には、私は望んで縛られているということですね。不幸な過去を自分が必要としている、と。

先ほどの一人旅の話で考えてみます。
私は旅から戻るたびに、その経験を伝えたい人がいました。一人旅に行ったことで、私は成長し、人間として深くなったのだと知ってほしかったのです。でも実際のところ、思っていた以上に臆病で英語も話せなかった自分には思い描いていた「理想の独自体験」があまりできずにいました(=「不遇ないま」)。

そんなときに私の身に起こった数々の小さなハプニング(=「悲劇という安酒」)。

ハプニングは、私が旅を通して成長したと見せかける絶好の自慢話だったわけですね。そこから、何を得て、何を感じ、どう成長できたのか、と考えることなく、私はその出来事を旅土産として持ち帰りました。

その結果、最終的にわたしの内面で何が起こったか?

「世界は危険なところであり、人々はわたしの敵である」という世界観の構築です。

ほんとは、世界をもっと知りたくて、勇気をもちたくて、出かけたはずなのに、知らないうちに、世界をさらに怖いものとして記憶することになったのです。

新たな過去を決定し人生を再選択する

人生を再選択

私は、そうしてさらなる恐れをもったままその後も、ひとり旅を続け、巡り巡って最終的にはヨーロッパでの生活を始めました。

自分がそれらの過去のハプニング経験から、外国に対して恐れをもっていることを自覚してはいたので、それを乗り越えるように色々なマインドセットを試みたし、実際にそれらは役に立ちました。

でも、今になって思うのは、当時の私にとって、本当に必要だったことは、「過去に自分が作った物語に気づき、これからはどうしたいかを考えて、新たな過去を決定し再構築する」ことだったのではないかと今感じています。

でも少なくとも今わたしは自分が作った物語に気づいているので、今この時点から過去を書き換えることができます。つまり、いつからでも過去は変えられる。

帰国した今もなお、海外に対する恐れがやっぱり消えないことに根強いものを感じ、そろそろ向き合わないとなーとうっすら思っていました。そんな時に、アドラー心理学に再会して、以前読んだときとは全く違う視点で読むこととなり、大いに学ぶものがあったなと感じています。

心のブレーキがないか、自分に問いかけてみよう

いまあなたが自分にどこかブレーキがかかっている部分があると思うなら、それは過去に起因しているかもしれません。いや、けっこうな確率でそうかもです。

でも、自分が無意識に感じていた恐れに、腰を据えて向き合ったとき、じつはそれが実はたいしたものじゃなかったって拍子抜けすることがあります。それはそれで面白い発見です。

なにはともあれ、過去の記憶の捉え方を変えることで、現在に変化を起こすことのできる無限の可能性を、私たちは秘めているのです。

人間ってすごい。

では、本日はこのあたりで。

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